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【川端康成先生文集】《雪国》。日文原版。

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雪国。


IP属地:北京1楼2011-07-21 00:49回复
    国境の长いトンネル《*》を抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽车が止まった。
    向侧の座席から娘が立って来て、岛村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに仱瓿訾筏啤⑦hくへ叫ぶように、
    「駅长さあん、駅长さあん」
    明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟《えり》巻《まき》で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
    もうそんな寒さかと岛村は外を眺《なが》めると、鉄道の官舎らしいバラックが山《やま》裾《すそ》に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに暗《やみ》に呑《の》まれていた。
    「駅长さん、私です、御《ご》机《き》嫌《げん》よろしゅうございます」
    「ああ、叶子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ」
    「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世话さまですわ」
    「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀《かわい》想《そう》だな」
    「ほんの子供ですから、駅长さんからよく教えてやっていただいて、よろしくお愿いいたしますわ」
    「よろしい。元気で働いてるよ。これからいそがしくなる。去年は大雪だったよ。よく雪《な》崩《だ》れてね、汽车が立往生するんで、村も焚《たき》出《だ》しがいそがしかったよ」
    「駅长さんずいぶん厚着に见えますわ。弟の手纸には、まだチョッキも着ていないようなことを书いてありましたけれど」
    「私は着物を四枚重ねだ。若い者は寒いと酒ばかり饮んでいるよ。それでごろごろあすこにぶっ倒れてるのさ、风《か》邪《ぜ》をひいてね」
    駅长は宿舎の方へ手の明りを振り向けた。
    「弟もお酒をいただきますでしょうか」
    「いや」
    「駅长さんもうお帰りですの?」
    「私は怪《け》我《が》をして、医者に通《かよ》ってるんだ」
    「まあ。いけませんわ」
    和服に外《がい》套《とう》の駅长は寒い立话をさっさと切り上げたいらしく、もう后姿を见せながら、
    「それじゃまあ大事にいらっしゃい」
    「駅长さん、弟は今出ておりませんの?」と、叶子は雪の上を目捜しして、
    「駅长さん、弟をよく见てやって、お愿いです」
    悲しいほど美しい声であった。高い响きのまま夜の雪から木《こ》魂《だま》して来そうだった。
    汽车が动き出しても、彼女は窓から胸を入れなかった。そうして线路の下を歩いている駅长に追いつくと、
    「駅长さあん、今度の休みの日に家へお帰りって、弟に言ってやって下さあい」
    「はあい」と、駅长が声を张りあげた。
    叶子は窓をしめて、赤らんだ頬《ほお》に両手をあてた。
    ラッセルを三台备えて雪を待つ、国境の山であった。トンネルの南北から、电力による雪崩报知线が通じた。除雪人夫延《のべ》人员五千名に加えて消防组青年団の延人员二千名出动の手配がもう整っていた。
    そのような、やがて雪に埋《うずも》れる鉄道信号所に、叶子という娘の弟がこの冬から勤めているのだと分ると、岛村はいっそう彼女に兴味を强めた。
    しかしここで「娘」と言うのは、岛村にそう见えたからであって、连れの男が彼女のなんであるか、むろん岛村の知るはずはなかった。二人のしぐさは夫妇じみていたけれども、男は明らかに病人だった。病人相手ではつい男女の隔てがゆるみ、まめまめしく世话すればするほど、夫妇じみて见えるものだ。実际また自分より年上の男をいたわる女の幼い母ぶりは、远目に夫妇とも思われよう。
    


    IP属地:北京2楼2011-07-21 00:50
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      岛村は彼女一人だけを切り离して、その姿の感じから、自分胜手に娘だろうときめているだけのことだった。でもそれには、彼がその娘を不思议な见方であまりに见つめ过ぎた结果、彼自らの感伤が多分に加わってのことかもしれない。
      もう三时间も前のこと、岛村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに动かして眺めては、结局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく记忆の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡《ぬ》れていて、自分を远くの女へ引き寄せるかのようだと、不思议に思いながら、鼻につけて匂いを嗅《か》いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに线を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。彼は惊いて声をあげそうになった。しかしそれは彼が心を远くへやっていたからのことで、気がついてみればなんでもない、向侧の座席の女が写ったのだった。外は夕暗がおりているし、汽车のなかは明りがついている。それで窓ガラスが镜になる。けれども、スチイムの温《ぬく》みでガラスがすっかり水蒸気に濡れているから、指で拭《ふ》くまでその镜はなかったのだった。
      娘の片眼だけはかえって异様に美しかったものの、岛村は颜を窓に寄せると、夕《ゆう》景《げ》色《しき》见たさという风な旅愁颜を俄《にわか》づくりして、掌《てのひら》でガラスをこすった。
      娘は胸をこころもち倾けて、前に横たわった男を一心に见下《おろ》していた。肩に力が入っているところから、少しいかつい眼も瞬《まばた》きさえしないほどの真剣さのしるしだと知れた。男は窓の方を枕《まくら》にして、娘の横へ折り曲げた足をあげていた。三等车である。岛村の真横ではなく、一つ前の向侧の座席だったから、横寝している男の颜は耳のあたりまでしか镜に写らなかった。
      娘は岛村とちょうど斜めに向い合っていることになるので、じかにだって见られるのだが、彼女等が汽车に仱贽zんだ时、なにか凉しく刺すような娘の美しさに惊いて目を伏せるとたん、娘の手を固くつかんだ男の青黄色い手が见えたものだから、岛村は二度とそっちを向いては悪いような気がしていたのだった。
      镜の中の男の颜色は、ただもう娘の胸のあたりを见ているゆえに安らかだという风に落ちついていた。弱い体力が弱いながらに甘い调和を漂わせていた。襟巻を枕に敷き、それを鼻の下にひっかけて口をぴったり覆《おお》い、それからまた上になった頬を包んで、一种の頬かむりのような工《ぐ》合《あい》だが、ゆるんで来たり、鼻にかぶさって来たりする。男が目を动かすか动かさぬうちに、娘はやさしい手つきで直してやっていた。见ている岛村がいら立って来るほど几度もその同じことを、二人は无心に缲り返していた。また、男の足をつつんだ外套の裾《すそ》が时々开いて垂《た》れ下《さが》る。それも娘はすぐ気がついて直してやっていた。これらがまことに自然であった。このようにして距离というものを忘れながら、二人は果しなく远くへ行くものの姿のように思われたほどだった。それゆえ岛村は悲しみを见ているというつらさはなくて、梦のからくりを眺めているような思いだった。不思议な镜のなかのことだったからでもあろう。
      


      IP属地:北京3楼2011-07-21 00:50
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        镜の底には夕景色が流れていて、つまり写るものと写す镜とが、映画の二重写しのように动くのだった。登场人物と背景とはなんのかかわりもないのだった。しかも人物は透明のはかなさで、风景は夕暗のおぼろな流れで、その二つが融《と》け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。殊《こと》に娘の颜のただなかに野山のともし火がともった时には、岛村はなんともいえぬ美しさに胸が颤《ふる》えたほどだった。
        遥《はる》かの山の空はまだ夕焼の名残《なごり》の色がほのかだったから、窓ガラス越しに见る风景は远くの方までものの形が消えてはいなかった。しかし色はもう失われてしまっていて、どこまで行っても平凡な野山の姿がなおさら平凡に见え、なにものも际《きわ》立《だ》って注意を惹《ひ》きようがないゆえに、かえってなにかぼうっと大きい感情の流れであった。むろんそれは娘の颜をそのなかに浮べていたからである。姿が写る部分だけは窓の外が见えないけれども、娘の轮郭のまわりを绝えず夕景色が动いているので、娘の颜も透明のように感じられた。しかしほんとうに透明かどうかは、颜の裏を流れてやまぬ夕景色が颜の表を通るかのように错覚されて、见《み》极《きわ》める时がつかめないのだった。
        汽车のなかもさほど明るくはなし、ほんとうの镜のように强くはなかった。反射がなかった。だから、岛村は见入っているうちに、镜のあることをだんだん忘れてしまって、夕景色の流れのなかに娘が浮んでいるように思われて来た。
        そういう时彼女の颜のなかにともし火がともったのだった。この镜の映像は窓の外のともし火を消す强さはなかった。ともし火も映像を消しはしなかった。そうしてともし火は彼女の颜のなかを流れて通るのだった。しかし彼女の颜を光り辉かせるようなことはしなかった。冷たく远い光であった。小さい瞳《ひとみ》のまわりをぽうっと明るくしながら、つまり娘の眼と火とが重なった瞬间、彼女の眼は夕暗の波间に浮ぶ、妖《あや》しく美しい夜光虫であった。
        こんな风に见られていることを、叶子は気づくはずがなかった。彼女はただ病人に心を夺われていたが、たとえ岛村の方へ振り向いたところで、窓ガラスに写る自分の姿は见えず、窓の外を眺める男など目に止まらなかっただろう。
        岛村が叶子を长い间盗《ぬすみ》见《み》しながら彼女に悪いということを忘れていたのは、夕景色の镜の非现実な力にとらえられていたからだったろう。
        だから彼女が駅长に呼びかけて、ここでもなにか真剣过ぎるものを见せた时にも、物语めいた兴味が先きに立ったのかもしれない。
        その信号所を通るころは、もう窓はただ暗であった。向うに风景の流れが消えると镜の魅力も失われてしまった。叶子の美しい颜はやはり写っていたけれども、その温《あたた》かいしぐさにかかわらず、岛村は彼女のうちになにか澄んだ冷たさを新しく见つけて、镜の昙って来るのを拭《ぬぐ》おうともしなかった。
        ところがそれから半时间ばかり后に、思いがけなく叶子达も岛村と同じ駅に下りたので、彼はまたなにか起るかと自分にかかわりがあるかのように振り返ったが、プラット?フォウムの寒さに触れると、急に汽车のなかの非礼が耻ずしくなって、后も见ずに机関车の前を渡った。
        男が叶子の肩につかまって线路へ下りようとした时に、こちらから駅员が手を上げて止めた。
        やがて暗から现われて来た长い货物列车が二人の姿を隠した。
        


        IP属地:北京4楼2011-07-21 00:50
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          宿屋の客引きの番头はちょうど火事场の消防のようにものものしい雪《ゆき》装《しよう》束《ぞく》だった。耳をつつみ、ゴムの长《なが》靴《ぐつ》をはいていた。待合室の窓から线路の方を眺《なが》めて立っている女も、青いマントを着て、その头《ず》巾《きん》をかぶっていた。
          岛村は汽车のなかのぬくみがさめなくて、そとのほんとうの寒さをまだ感じなかったけれども、雪国の冬は初めてだから、土地の人のいでたちにまずおびやかされた。
          「そんな恰《かつ》好《こう》をするほど寒いのかね」
          「へい、もうすっかり冬《ふゆ》支《じ》度《たく》です。雪の后でお天気になる前の晩は、特别冷えます。今夜はこれでもう氷点を下っておりますでしょうね」
          「これが氷点以下かね」と、岛村は轩《のき》端《ば》の可爱い氷柱《つらら》を眺めながら、宿の番头と自动车に仱盲俊Q—紊摇—蔚亭の莞颏い盲饯Φ亭姢护啤⒋澶悉筏い螭鹊驻松颏螭扦い毪瑜Δ坤盲俊
          「なるほどなににさわっても冷たさがちがうよ」
          「去年は氷点下二十何度というのが一番でした」
          「雪は?」
          「さあ、普通七、八尺ですけれど、多い时は一丈を二、三尺超《こ》えてますでしょうね」
          「これからだね」
          「これからですよ。この雪はこの间一尺ばかり降ったのが、だいぶ解けて来たところです」
          「解けることもあるのかね」
          「もういつ大雪になるか分りません」
          十二月の初めであった。
          岛村はしつっこい风《か》邪《ぜ》心《ごこ》地《ち》でつまっていた鼻が、头のしんまですっといちどきに通って、よごれものが洗い落されるように、水《みず》涕《ばな》がしきりと落ちて来た。
          「お师匠さんとこの娘はまだいるかい」
          「へえ、おりますおります。駅におりましたが、御覧になりませんでしたか、浓い青のマントを着て」
          「あれがそうだったの?――后で呼べるだろう」
          「今夜ですか」
          「今夜だ」
          「今の终列车でお师匠さんの息《むす》子《こ》が帰るとか言って、迎えに出ていましたよ」
          夕《ゆう》景《げ》色《しき》の镜のなかで叶子にいたわられていた病人は、岛村が会いに来た女の家の息子だったのだ。
          そうと知ると、自分の胸のなかをなにかが通り过ぎたように感じたけれども、このめぐりあわせを、彼はさほど不思议と思うことはなかった。不思议と思わぬ自分を不思议と思ったくらいのものであった。
          指で覚えている女と眼にともし火をつけていた女との间に、なにがあるのかなにが起るのか、岛村はなぜかそれが心のどこかで见えるような気持もする。まだ夕景色の镜から醒《さ》め切らぬせいだろうか。あの夕景色の流れは、さては时の流れの象徴であったかと、彼はふとそんなことを呟《つぶや》いた。
          スキイの季节前の温泉宿は最も客の少い时で、岛村が内汤《*》から上って来ると、もう全く寝静まっていた。古びた廊下は彼の踏むたびにガラス戸を微《かす》かに鸣らした。その长いはずれの帐《ちよう》场《ば》の曲り角に、裾《すそ》を冷え冷えと
          とうとう芸者に出たのであろうかと、その裾を见てはっとしたけれども、こちらへ歩いて来るでもない、体のどこかを崩《くず》して迎えるしなを作るでもない、じっと动かぬその立ち姿から、彼は远目にも真《ま》面《じ》目《め》なものを受け取って、急いで行ったが、女の傍に立っても黙っていた。女も浓い白粉《おしろい》の颜で微笑《ほほえ》もうとすると、かえって泣き面になったので、なにも言わずに二人は部《へ》屋《や》の方へ歩き出した。
          


          IP属地:北京5楼2011-07-21 00:50
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            あんなことがあったのに、手纸も出さず、会いにも来ず、踊の型の本など送るという约束も果さず、女からすれば笑って忘れられたとしか思えないだろうから、まず岛村の方から诧《わ》びかいいわけを言わねばならない顺序だったが、颜を见ないで歩いているうちにも、彼女は彼を责めるどころか、体いっぱいになつかしさを感じていることが知れるので、彼はなおさら、どんなことを言ったにしても、その言叶は自分の方が不真面目だという响きしか持たぬだろうと思って、なにか彼女に気《け》押《お》される甘い喜びにつつまれていたが、阶段の下まで来ると、
            「こいつが一番よく君を覚えていたよ」と、人差指だけ伸《のば》した左手の握《にぎ》り拳《こぶし》を、いきなり女の目の前に突きつけた。
            「そう?」と、女は彼の指を握るとそのまま离さないで手をひくように阶段を上って行った。
            火《こ》燵《たつ》の前で手を离すと、彼女はさっと首まで赤くなって、それをごまかすためにあわててまた彼の手を拾いながら、
            「これが覚えていてくれたの?」
            「右じゃない、こっちだよ」と、女の掌《てのひら》の间から右手を抜いて火燵に入れると、改めて左の握り拳を出した。彼女はすました颜で、
            「ええ、分ってるわ」
            ふふと含み笑いしながら、岛村の掌を拡げて、その上に颜を押しあてた。
            「これが覚えていてくれたの?」
            「ほう冷たい。こんな冷たい髪の毛初めてだ」
            「东京はまだ雪が降らないの?」
            「君はあの时、ああ言ってたけれども、あれはやっぱり嘘《うそ》だよ。そうでなければ、谁が年の暮にこんな寒いところへ来るものか」
            


            IP属地:北京6楼2011-07-21 00:51
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              あの时は――雪崩《なだれ》の危険期が过ぎて、新绿の登山季节に入った顷だった。
              あけびの新芽も间もなく食《しよく》膳《ぜん》に见られなくなる。
              无为徒食の岛村は自然と自身に対する真面目さも失いがちなので、それを呼び戻《もど》すには山がいいと、よく一人で山歩きをするが、その夜も国境の山々から七日ぶりで温泉场へ下りて来ると、芸者を呼んでくれと言った。ところがその日は道路普《ぶ》请《しん》の落成祝いで、村の茧《まゆ》仓《ぐら》兼芝居小屋を宴会场に使ったほどの赈《にぎや》かさだから、十二、三人の芸者では手が足りなくて、とうてい贳《もら》えないだろうが、师匠の家の娘なら宴会を手伝いに行ったにしろ、踊を二つ三つ见せただけで帰るから、もしかしたら来てくれるかも知れないとのことだった。岛村が闻き返すと、三味《しやみ》线《せん》と踊の师匠の家にいる娘は芸者というわけではないが、大きい宴会などには时たま頼まれて行くこともある、半《はん》玉《ぎよく》が《*》なく、立って踊りたがらない年《とし》増《ま》が多いから、娘は重宝がられている、宿屋の客の座敷へなどめったに一人で出ないけれども、全くの素人《しろうと》とも言えない、ざっとこんな风な女中の说明だった。
              怪しい话だとたかをくくっていたが、一时间ほどして女が女中に连れられて来ると、岛村はおやと居《い》住《ずま》いを直した。すぐ立ち上って行こうとする女中の袖《そで》を女がとらえて、またそこに坐らせた。
              女の印象は不思议なくらい清洁であった。足指の裏の洼《くぼ》みまできれいであろうと思われた。山々の初夏を见て来た自分の眼のせいかと、岛村は疑ったほどだった。
              着つけにどこか芸者风なところがあったが、むろん裾《すそ》はひきずっていないし、やわらかい単衣《ひとえ》をむしろきちんと着ている方であった。帯だけは不似合に高価なものらしく、それがかえってなにかいたましく见えた。
              山の话などはじめたのをしおに、女中が立って行ったけれども、女はこの村から眺《なが》められる山々の名もろくに知らず、岛村は酒を饮む気にもなれないでいると、女はやはり生れはこの雪国、东京でお酌《しやく*》をしているうちに受け出され、ゆくすえ日本踊の师匠として身を立てさせてもらうつもりでいたところ、一年半ばかりで旦《だん》那《な》が死んだと、思いのほか素直に话した。しかしその人に死别れてから今日までのことが、おそらく彼女のほんとうの身の上话かもしれないが、それは急に打ち明けそうもなかった。十九だと言った。嘘《うそ》でないなら、この十九が二十一、二に见えることに岛村ははじめてくつろぎを见つけ出して、歌《か》舞《ぶ》伎《き》の话などしかけると、女は彼よりも俳优の芸风や消息に精通していた。そういう话相手に饥えていてか、梦中でしゃべっているうち、根が花柳界出の女らしいうちとけようを示して来た。男の気心を一通り知っているようでもあった。それにしても彼は头から相手を素人《しろうと》ときめているし、一周间ばかり人间とろくに口をきいたこともない后だから、人なつかしさが温《あたた》かく溢《あふ》れて、女にまず友情のようなものを感じた。山の感伤が女の上にまで尾をひいて来た。
              女は翌日の午后、お汤道具を廊下の外に置いて、彼の部《へ》屋《や》へ游びに寄った。
              彼女が坐るか坐らないうちに、彼は突然芸者を世话してくれと言った。
              「世话するって?」
              「分ってるじゃないか」
              「いやあねえ。私そんなこと頼まれるとは梦にも思って来ませんでしたわ」と、女はぷいと窓へ立って行って国境の山々を眺めたが、そのうちに頬《ほお》を染めて、
              


              IP属地:北京7楼2011-07-21 00:51
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                「ここにはそんな人ありませんわよ」
                「嘘をつけ」
                「ほんとうよ」と、くるっと向き直って、窓に腰をおろすと、
                「强制することは绝対にありませんわ。みんな芸者さんの自由なんですわ。宿屋でもそういうお话は一切しないの。ほんとうなのよ、これ。あなたが谁か呼んで直接话してごらんになるといいわ」
                「君から頼んでみてくれよ」
                「私がどうしてそんなことをしなければならないの?」
                「友だちだと思ってるんだ。友だちにしときたいから、君は口《く》说《ど》かないんだよ」
                「それがお友达ってものなの?」と、女はつい诱われて子供っぽく言ったが、后はまた吐き出すように、
                「えらいと思うわ。よくそんなことが私にお頼めになれますわ」
                「なんでもないことじゃないか。山で丈夫になって来たんだよ。头がさっぱりしないんだ。君とだって、からっとした気持で话が出来やしない」
                女は睑《まぶた》を落して黙った。岛村はこうなればもう男の厚かましさをさらけ出しているだけなのに、それを物分りよくうなずく习わしが女の身にしみているのだろう。その伏《ふし》目《め》は浓い睫《まつ》毛《げ》のせいか、ほうっと温かくなまめくと岛村が眺めているうちに、女の颜はほんの少し左右に揺れて、また薄赤らんだ。
                「お好きなのをお呼びなさい」
                「それを君に闻いてるんじゃないか。初めての土地だから、谁がきれいだか分らんさ」
                「きれいって言ったって」
                「若いのがいいね。若い方がなにかにつけてまちがいが少いだろう。うるさくしゃべらんのがいい。ぼんやりしていて、よごれてないのが。しゃべりたい时は君としゃべるよ」
                「私はもう来ませんわ」
                「马鹿言え」
                「あら、来ないわよ。なにしに来るの?」
                「君とさっぱりつきあいたいから、君を口说かないんじゃないか」
                「あきれるわ」
                「そういうことがもしあったら、明日はもう君の颜を见るのもいやになるかもしれん。话に気仱辘工毪胜螭皮长趣胜胜毪琛I饯槔铯爻訾评搐啤ⅳ护盲摔胜膜盲长い螭坤椁汀⒕峡谡hかないんだ。だって、仆は旅行者じゃないか」
                「ええ。ほんとうね」
                「そうだよ。君にしたって、君が厌《いや》だと思う女となら、后で会うのも胸が悪いだろうが、自分が选んでやった女ならまだましだろう」
                「知らないっ」と、强く投げつけてそっぽを向いたものの、
                「それはそうだけれど」
                「なにしたらおしまいさ。味気ないよ。长続きしないだろう」
                「そう。ほんとうにみんなそうだわ。私の生れは港なの。ここは温泉场でしょう」と、女は思いがけなく素直な调子で、
                「お客はたいてい旅の人なんですもの。私なんかまだ子供ですけれど、いろんな人の话を闻いてみても、なんとなく好きで、その时は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。忘れられないのね。别れた后ってそうらしいわ。向うでも思い出して、手纸をくれたりするのは、たいていそういうんですわ」
                女は窓から立ち上ると、今度は窓の下の畳に柔かく坐った。远い日々を振り返るように见えながら、急に岛村の身近に坐ったという颜になった。
                女の声にあまり実感が溢れているので、岛村は苦もなく女を骗《だま》したかと、かえってうしろめたいほどだった。
                


                IP属地:北京8楼2011-07-21 00:51
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                  「それでどれくらいいるの」
                  「芸者さん? 十二、三人かしら」
                  「なんていう人がいいの?」と、岛村が立ち上ってベルを押すと、
                  「私は帰りますわね?」
                  「君が帰っちゃ駄目だよ」
                  「厌なの」と、女は屈辱を振り払うように、
                  「帰りますわ。いいのよ、なんとも思やしませんわ。また来ますわ」
                  しかし女中を见ると、なにげなく坐り直した。女中が谁を呼ぼうかと几度闻いても、女は名指しをしなかった。
                  ところが间もなく来た十七、八の芸者を一目见るなり、岛村の山から里へ来た时の女ほしさは味気なく消えてしまった。肌《はだ》の底ね螭蓼拦菑垽盲皮い啤ⅳ嗓长酢钉Δぁ贰钉Δぁ筏筏摔瑜丹饯Δ坤椤ⅳ膜趣幛婆d《きよう》醒《ざ》めた颜をすまいと芸者の方を向いていたが、実は彼女のうしろの窓の新绿の山々が目についてならなかった。ものを言うのも気《け》だるくなった。いかにも山里の芸者だった。岛村がむっつりしているので、女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしまうと、いっそう座が白けて、それでももう一时间くらいは経《た》っただろうから、なんとか芸者を帰す工夫はないかと考えるうちに、电报为替《がわせ》の来ていたことを思い出したので邮便局の时间にかこつけて、芸者といっしょに部屋を出た。
                  しかし、岛村は宿の玄関で若叶の匂《にお》いの强い裏山を见上げると、それに诱われるように荒っぽく登って行った。
                  なにがおかしいのか、一人で笑いが止まらなかった。
                  ほどよく疲れたところで、くるっと振り向きざま浴衣《ゆかた》の尻《しり》からげして、一散に駈《か》け下りて来ると、足もとから黄《き》蝶《ちよう》が二羽飞び立った。
                  蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遥《はる》かだった。
                  「どうなすったの」
                  女が杉林の阴《かげ》に立っていた。
                  「うれしそうに笑ってらっしゃるわよ」
                  「止《や》めたよ」と、岛村はまたわけのない笑いがこみ上げて来て、
                  「止めた」
                  「そう?」
                  女はふいとあちらを向くと、杉林のなかへゆっくり入った。彼は黙ってついて行った。
                  神社であった。苔《こけ》のついた狛《こま》犬《いぬ》の傍の平な岩に女は腰をおろした。
                  「ここが一等凉しいの。真夏でも冷たい风がありますわ」
                  「ここの芸者って、みなあんなのかね」
                  「似たようなものでしょう。年《とし》増《ま》にはきれいな人がありますわ」と、うつ向いて素《そつ》気《け》なく言った。その首に杉林の小暗い青が映るようだった。
                  岛村は杉の梢《こずえ》を见上げた。
                  「もういいよ。体の力がいっぺんに抜けちゃって、おかしいようだよ」
                  その杉は岩にうしろ手を突いて胸まで反《そ》らないと目の届かぬ高さ、しかも実に一直线に干が立ち并び、暗い叶が空をふさいでいるので、しいんと静けさが鸣っていた。岛村が背を寄せている干は、なかでも最も年《とし》古《ふ》りたものだったが、どうしてか北侧の枝だけが上まですっかり枯れて、その落ち残った根元は尖《とが》った杭《くい》を逆立ちに干へ植え重ねたと见え、なにか恐しい神の武器のようであった。
                  「仆は思いちがいしてたんだな。山から下りて来て君を初めて见たもんだから、ここの芸者はきれいなんだろうと、うっかり考えてたらしい」と、笑いながら、七日间の山の健康を简単に洗《せん》濯《たく》しようと思いついたのも、実は初めにこの清洁な女を见たからだったろうかと、岛村は今になって気がついた。
                  西日に光る远い川を女はじっと眺《なが》めていた。手《て》持《もち》无《ぶ》沙《さ》汰《た》になった。
                  「あら忘れてたわ。お烟草《たばこ》でしょう」と、女はつとめて気軽に、
                  「さっきお部屋へ戻《もど》ってみたら、もういらっしゃらないんでしょう。どうなすったかしらと思うと、えらい势いでお一人山へ登ってらっしゃるんですもの。窓から见えたの。おかしかったわ。お烟草を忘れていらしたらしいから、持って来てあげたんですわ」
                  そして彼の烟草を袂《たもと》から出すとマッチをつけた。
                  「あの子に気の毒したよ」
                  「そんなこと、お客さんの随意じゃないの、いつ帰そうと」
                  石の多い川の音が円い甘さで闻えて来るばかりだった。杉の间から向うの山《やま》襞《ひだ》の阴《かげ》るのが见えた。
                  「君とそう见劣りしない女でないと、后で君と会った时心外じゃないか」
                  「知らないわ。负け惜《おし》みの强い方ね」と、女はむっと嘲《あざ》けるように言ったけれども、芸者を呼ぶ前と全く别な感情が二人の间に通《かよ》っていた。
                  はじめからただこの女がほしいだけだ、それを例によって远廻りしていたのだと、岛村ははっきり知ると、自分が厌になる一方女がよけい美しく见えて来た。杉林の阴で彼を呼んでからの女は、なにかすっと抜けたように凉しい姿だった。
                  


                  IP属地:北京10楼2011-07-21 00:51
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                    岛村の掌のありがたいふくらみはだんだん热くなって来た。
                    「ああ、安心した。安心したよ」と、彼はなごやかに言って、母のようなものさえ感じた。
                    女はまた急に苦しみ出して、身をもがいて立ち上ると、部屋の向うの隅《すみ》に突っ伏した。
                    「いけない、いけない。帰る、帰る」
                    「歩けるもんか。大雨だよ」
                    「跣足《はだし》で帰る。这《は》って帰る」
                    「危《あぶな》いよ。帰るなら送ってやるよ」
                    宿は丘の上で、嶮《けわ》しい坂がある。
                    「帯をゆるめるか、少し横になって、醒《さ》ましたらいいだろう」
                    「そんなことだめ。こうすればいいの、惯れてる」と、女はしゃんと坐って胸を张ったが、息が苦しくなるばかりだった。窓をあけて吐こうとしても出なかった。身をもんで転《ころが》りたいのを噛《か》みこらえているありさまが続いて、时々意志を奋い起すように、帰る帰ると缲り返しながら、いつか午前二时を过ぎた。
                    「あんたは寝なさい。さあ、寝なさいったら」
                    「君はどうするんだ」
                    「こうやってる。少し醒まして帰る。夜のあけないうちに帰る」と、いざり寄って岛村を引っぱった。
                    「私にかまわないで寝なさいってば」
                    岛村が寝床に入ると、女は机に胸を崩《くず》して水を饮んだが、
                    「起きなさい。ねえ、起きなさいったら」
                    「どうしろって言うんだ」
                    「やっぱり寝てなさい」
                    「なにを言ってるんだ」と、岛村は立ち上った。
                    女を引き摺《ず》って行った。
                    やがて、颜をあちらに反《そ》向《む》けこちらに隠していた女が、突然激しく唇を突き出した。
                    しかしその后でも、むしろ苦痛を诉える谵《うわ》言《ごと》のように、
                    「いけない。いけないの。お友达でいようって、あなたがおっしゃったじゃないの」と、几度缲り返したかしれなかった。
                    岛村はその真剣な响きに打たれ、额に皱立て颜をしかめて悬命に自分を抑《おさ》えている意志の强さには、味気なく白けるほどで、女との约束を守ろうかとも思った。
                    「私はなんにも惜しいものはないのよ。决して惜しいんじゃないのよ。だけど、そういう女じゃない。私はそういう女じゃないの。きっと长続きしないって、あんた自分で言ったじゃないの」
                    酔いで半ば痹《しび》れていた。
                    「私が悪いんじゃないわよ。あんたが悪いのよ。あんたが负けたのよ。あんたが弱いのよ。私じゃないのよ」などと口走りながら、よろこびにさからうためにそでをかんでいた。
                    しばらく気が抜けたみたいに静かだったが、ふと思い出して突き刺すように、
                    「あんた笑ってるわね。私を笑ってるわね」
                    「笑ってやしない」
                    「心の底で笑ってるでしょう。今笑ってなくっても、きっと后で笑うわ」と、女はうつぶせになってむせび泣いた。
                    でもすぐに泣き止《や》むと、自分をあてがうように柔かくして、人なつっこくこまごまと身の上などを话し出した。酔いの苦しさは忘れたように抜けたらしかった。今のことにはひとことも触れなかった。
                    「あら、お话に梦中になってちっとも知らなかったわ」と、今度はぽうっと微笑んだ。
                    夜のあけないうちに帰らねばならないと言って、
                    「まだ暗いわね。この辺の人はそれは早起きなの」と、几度も立ち上って窓をあけてみた。
                    「まだ人の颜は见えませんわね。今朝《けさ》は雨だから、谁も田へ出ないから」
                    雨のなかに向うの山や麓《ふもと》の屋根の姿が浮び出してからも、女は立ち去りにくそうにしていたが、宿の人の起きる前に髪を直すと、岛村が玄関まで送ろうとするのも人目を恐れて、あわただしく逃げるように、一人で抜け出して行った。そして岛村はその日东京に帰ったのだった。
                    


                    IP属地:北京12楼2011-07-21 00:52
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                      「君はあの时、ああ言ってたけれども、あれはやっぱり嘘《うそ》だよ。そうでなければ、谁が年の暮にこんな寒いところへ来るものか。后でも笑やしなかったよ」
                      女がふっと颜を上げると、岛村の掌《てのひら》に押しあてていた睑《まぶた》から鼻の両侧へかけて赤らんでいるのが、浓い白粉《おしろい》を透して见えた。それはこの雪国の夜の冷たさを思わせながら、髪の色の瑥。
                      その颜は眩《まぶ》しげに含み笑いを浮べていたが、そうするうちにも「あの时」を思い出すのか、まるで岛村の言叶が彼女の体をだんだん染めて行くかのようだった。女はむっとしてうなだれると、襟《えり》をすかしているから、背なかの赤くなっているのまで见え、なまなましく濡《ぬ》れた裸を剥《む》き出したようであった。髪の色との配合のために、なおそう思われるのかもしれない。前髪が细かく生えつまっているというのではないけれども、毛筋が男みたいに太くて、后《おく》れ毛《げ》一つなく、なにかゃk物の重ったいような光だった。
                      


                      IP属地:北京13楼2011-07-21 00:52
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                        今さっき手に触れて、こんな冷たい髪の毛は初めてだとびっくりしたのは、寒気のせいではなく、こういう髪そのもののせいであったかと思えて、岛村が眺《なが》め直していると、女は火《こ》燵《たつ》板《いた》の上で指を折りはじめた。それがなかなか终らない。
                        「なにを勘定してるんだ」と闻いても、黙ってしばらく指折り数えていた。
                        「五月の二十三日ね」
                        「そうか。日数を数えてたのか。七月と八月と大が続くんだよ」
                        「ね、百九十九日目だわ。ちょうど百九十九日目だわ」
                        「だけど、五月二十三日って、よく覚えてるね」
                        「日记を见れば、すぐ分るわ」
                        「日记? 日记をつけてるの?」
                        「ええ、古い日记を见るのは楽しみですわ。なんでも隠さずその通りに书いてあるから、ひとりで読んでいても耻かしいわ」
                        「いつから」
                        「东京でお酌《しやく》に出る少し前から。その顷はお金が自由にならないでしょう。自分で买えないの。二銭か三銭の雑记帐にね、定《じよう》规《ぎ》をあてて、细かい罫《けい》を引いて、それが铅笔を细く削ったと见えて、线がきれいに揃《そろ》ってるんですの。そうして帐面の上の端から下の端まで、细かい字がぎっちり书いてあるの。自分で买えるようになったら、駄目。物を粗末に使うから。手习だって、元は古新闻に书いてたけれど、この顷は巻纸へじかでしょう」
                        「ずっと欠丵かさず日记をつけてるのかい」
                        「ええ、十六の时のと今年のとが、一番面白いわ。いつもお座敷から帰って、寝间着《き》に着替えてつけたのね。遅く帰るでしょう。ここまで书いて、中途で眠ってしまったなんて、今読んでも分るところがあるの」
                        「そうかねえ」
                        


                        IP属地:北京14楼2011-07-21 00:52
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                          「だけど、毎日毎日ってんじゃなく、休む日もあるのよ。こんな山の中だし、お座敷へ出たって、きまりきってるでしょう。今年はペエジごとに日附の入ったのしか买えなくて、失败したわ。书き出せばどうしても长くなることがあるもの」
                          日记の话よりもなお岛村が意外の感に打たれたのは、彼女は十五、六の顷から、読んだ小说をいちいち书き留めておき、そのための雑记帐がもう十册にもなったということであった。
                          「感想を书いとくんだね?」
                          「感想なんか书けませんわ。题と作者と、それから出て来る人物の名前と、その人达の関系と、それくらいのものですわ」
                          「そんなものを书き止めといたって、しようがないじゃないか」
                          「しようがありませんわ」
                          「徒労だね」
                          「そうですわ」と、女はこともなげに明るく答えて、しかしじっと岛村を见つめていた。
                          全く徒労であると、岛村はなぜかもう一度声を强めようとしたとたんに、雪の鸣るような静けさが身にしみて、それは女に惹《ひ》きつけられたのであった。彼女にとってはそれが徒労であろうはずがないとは彼も知りながら、头から徒労だと叩《たた》きつけると、なにかかえって彼女の存在が纯粋に感じられるのであった。
                          この女の小说の话は、日常使われる文学という言叶とは縁がないもののように闻えた。妇人雑志を交换して読むくらいしか、この村の人との间にそういう友情はなく、后は全く孤立して読んでいるらしかった。选択もなく、さほどの理解もなく、宿屋の客间などでも小说本や雑志を见つける限り、借りて読むという风であるらしかったが、彼女が思い出すままに挙《あ》げる新しい作家の名前など、岛村の知らないのが少くなかった。しかし彼女の口ぶりは、まるで外国文学の远い话をしているようで、无欲な乞《こ》食《じき》に似た哀れな响きがあった。自分が洋书の写真や文字を頼りに、西洋の舞踊を遥《はる》かに梦想しているのもこんなものであろうと、岛村は思ってみた。
                          彼女もまた见もしない映画や芝居の话を、楽しげにしゃべるのだった。こういう话相手に几月も饥えていた后なのであろう。百九十九日前のあの时も、こういう话に梦中になったことが、自ら进んで岛村に身を投げかけてゆくはずみとなったのも忘れてか、またしても自分の言叶の描くもので体まで温まって来る风であった。
                          しかし、そういう都会的なものへのあこがれも、今はもう素直なあきらめにつつまれて无心な梦のようであったから、都の落人《おちうど》じみた高慢な不平よりも、単纯な徒労の感が强かった。彼女自らはそれを寂しがる様子もないが、岛村の眼には不思议な哀れとも见えた。その思いに溺《おぼ》れたなら、岛村自らが生きていることも徒労であるという、远い感伤に落されて行くのであろう。けれども目の前の彼女は山《さん》気《き》に染まって生き生きした血色だった。
                          いずれにしろ、岛村は彼女を见直したことにはなるので、相手が芸者というものになった今はかえって言い出しにくかった。
                          あの时彼女は泥《でい》酔《すい》していて、痹《しび》れて役に立たぬ腕を歯《は》痒《が》いがって、
                          「なんだこんなもの。畜生。畜生。だるいよ。こんなもの」と、肘《ひじ》に激しくかぶりついたほどであった。
                          足が立たないので、体《からだ》をごろんごろん転《ころ》がして、
                          「决して惜しいんじゃないのよ。だけどそういう女じゃない。私はそういう女じゃないの」と言った言叶も思い出されて来て、岛村はためらっていると女はすばやく気づいて拨《は》ね返すように、
                          「零时の上《のぼ》りだわ」と、ちょうどその时闻えた汽笛に立ち上って、思い切り乱暴に纸障子とガラス戸をあけ、手《て》摺《すり》へ体を投げつけざま窓に腰かけた。
                          冷気が部《へ》屋《や》へいちどきに流れ込んだ。汽车の响きは远ざかるにつれて、夜风のように闻えた。
                          「おい、寒いじゃないか。马鹿」と、岛村も立ち上って行くと风はなかった。
                          一面の雪の冻りつく音が地の底深く鸣っているような、厳しい夜景であった。月はなかった。嘘のように多い星は、见上げていると、虚《むな》しい速さで落ちつつあると思われるほど、あざやかに浮き出ていた。星の群が目へ近づいて来るにつれて、空はいよいよ远く夜の色を深めた。国境の山々はもう重なりも见分けられず、そのかわりそれだけの厚さがありそうないぶした恰和であった。
                          岛村が近づくのを知ると、女は手摺に胸を突っ伏せた。それは弱々しさではなく、こういう夜を背景にして、これより顽《がん》固《こ》なものはないという姿であった。岛村はまたかと思った。
                          しかし、山々の色はい摔和などしていない。
                          


                          IP属地:北京15楼2011-07-21 00:53
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                            岛村は女の咽《のど》仏《ぼとけ》のあたりを掴《つか》んで、
                            「风《か》邪《ぜ》を引く。こんなに冷たい」と、ぐいとうしろへ起そうとした。女は手摺にしがみつきながら声をつまらせて、
                            「私帰るわ」
                            「帰れ」
                            「もうしばらくこうさしといて」
                            「それじゃ仆はお汤に入って来るよ」
                            「いやよ。ここにいなさい」
                            「窓をしめてくれ」
                            「もうしばらくこうさしといて」
                            村は镇《ちん》守《じゆ》の杉林の阴に半ば隠れているが、自动车で十分足らずの停车场の灯火は、寒さのためぴいんぴいんと音を立てて毁《こわ》れそうに瞬《またた》いていた。
                            女の頬《ほお》も、窓のガラスも、自分のどてらの袖《そで》も、手に触《さわ》るものは皆、岛村にはこんな冷たさは初めてだと思われた。
                            足の下の畳までが冷えて来るので、一人で汤に行こうとすると、
                            「待って下さい。私も行きます」と、今度は女が素直について来た。
                            彼の脱ぎ散らすものを女が乱《みだ》れ弧钉《そろ》えているところへ、男の泊り客が入って来たが、岛村の胸の前へすくんで颜を隠した女に気がつくと、
                            「あっ、失礼しました」
                            「いいえ、どうぞ。あっちの汤へ入りますから」と、岛村はとっさに言って、裸のままりの女汤の方へ行った。女はむろん夫妇面でついて来た。岛村は黙って后も见ずに温泉へ飞び込んだ。安心して高笑いがこみ上げて来るので、汤口に口をあてて荒っぽく嗽《うが》いをした。
                            部屋に戻《もど》ってから、女は横にした首を軽く浮かして鬓《びん》を小指で持ち上げながら、
                            「悲しいわ」と、ただひとこと言っただけであった。
                            女がぱいているのかと、近々のぞきこんでみると、それは睫《まつ》毛《げ》であった。
                            神経质な女は一睡もしなかった。
                            固い女帯をしごく音で、岛村は目が覚《さ》めたらしかった。
                            「早く起して悪かったわ。まだ暗いわね。ねえ、见て下さらない?」と、女は电灯を消した。
                            「私の颜が见える? 见えない?」
                            「见えないよ。まだ夜が明けないじゃないか」
                            「嘘よ。よく见て下さらなければ駄目よ。どう?」と、女は窓を明け放して、
                            「いけないわ。见えるわね。私帰るわ」
                            明け方の寒さに惊いて、岛村が枕《まくら》から头を上げると、空はまだ夜の色なのに、山はもう朝であった。
                            「そう、大丈夫。今は农家が暇だから、こんなに早く出歩く人はないわ。でも山へ行く人があるかしら」と、ひとりごとを言いながら、女は结びかかった帯をひきずって歩き、
                            「今の五时の下《くだ》りでお客がなかったわね。宿の人はまだまだ起きないわ」
                            帯を结び终ってからも、女は立ったり坐ったり、そうしてまた窓の方ばかり见て歩き廻った。それは夜行动物が朝を恐れて、いらいら歩き廻るような落ちつきのなさだった。妖《あや》しい野性がたかぶって来るさまであった。
                            そうするうちに部屋のなかまで明るんで来たか、女の赤い頬が目立って来た。岛村は惊くばかりあざやかな赤い色に见とれて、
                            「頬《ほ》っぺたが真赤じゃないか、寒くて」
                            「寒いんじゃないわ。白粉《おしろい》を落したからよ。私は寝床へ入るとすぐ、足の先までぽっぽして来るの」と、枕もとの镜台に向って、
                            「とうとう明るくなってしまったわ。帰りますわ」
                            岛村はその方を见て、ひょっと首を缩めた。镜の奥が真白に光っているのは雪である。その雪のなかに女の真赤な頬が浮んでいる。なんともいえぬ清洁な美しさであった。
                            もう日が升るのか、镜の雪は冷たく燃えるような辉きを増して来た。それにつれて雪に浮ぶ女の髪もあざやかな紫光りの
                            


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                              「颜を赤くしたり、ばたばた追っかけて来たりすれば、なお困るじゃないか」
                              「かまやしない」と、はっきり言いながら驹子はまた赤くなると、その场に立ち止まってしまって、道端の柿の木につかまった。
                              「うちへ寄っていただこうと思って、走って来たんですわ」
                              「君の家がここか」
                              「ええ」
                              「日记を见せてくれるなら、寄ってもいいね」
                              「あれは焼いてから死ぬの」
                              「だって君の家、病人があるんだろう」
                              「あら。よく御存じね」
                              「昨夜《ゆうべ》、君も駅へ迎えに出てたじゃないか、浓い青のマントを着て。仆はあの汽车で、病人のすぐ近くに仱に真剣に、実に亲切に、病人の世话をする娘さんが付き添ってたけど、あれ细君かね。ここから迎えに行った人? 东京の人? まるで母亲みたいで、仆は感心して见てたんだ」
                              「あんた、そのこと昨夜どうして私に话さなかったの。なぜ黙ってたの」と、驹子は気《け》色《しき》ばんだ。
                              「细君かね」
                              しかしそれには答えないで、
                              「なぜ昨夜话さなかったの。おかしな人」
                              岛村は女のこういう锐さを好まなかった。けれども女をこんな风に锐くするわけは、岛村にも驹子にもないはずだと思われるので、それでは驹子の性格の现われかとも见られたが、とにかく缲り返して突っ込まれると、彼は急所にさわられたような気はして来るのであった。今《け》朝《さ》山の雪を写した镜のなかに驹子を见た时も、むろん岛村は夕暮の汽车の窓ガラスに写っていた娘を思い出したのだったのに、なぜそれを驹子に话さなかったのだろうか。
                              「病人がいたっていいですわ。私の部屋へは谁も上って来ませんわ」と、驹子は低い石垣のなかへ入った。
                              右手は雪をかぶった畑で、左には柿の木が隣家の壁沿いに立ち并んでいた。家の前は花畑らしく、その真中の小さい莲《はす》池《いけ》の氷は縁《ふち》に持ち上げてあって、绯《ひ》鲤《ごい》が泳いでいた。柿の木の干のように家も朽《く》ち古びていた。雪の斑《まだ》らな屋根は板が腐って轩に波を描いていた。
                              土间へ入ると、しんと寒くて、なにも见えないでいるうちに、梯《はし》子《ご》を登らせられた。それはほんとうに梯子であった。上の部屋もほんとうに屋根裏であった。
                              「お蚕《かいこ》さまの部屋だったのよ。惊いたでしょう」
                              「これで、酔っ払って帰って、よく梯子を落ちないね」
                              「落ちるわ。だけどそんな时は下の火《こ》燵《たつ》に入ると、たいていそのまま眠ってしまいますわ」と、驹子は火《こ》燵《たつ》蒲《ぶ》団《とん》に手を入れてみて、火を取りに立った。
                              岛村は不思议な部屋のありさまを见廻した。低い明り窓が南に一つあるきりだけれども、桟《さん》の目の细かい障子は新しく贴《は》り替えられ、それに日《ひ》射《ざ》しが明るかった。壁にもたんねんに半纸が贴ってあるので、古い纸箱に入った心《ここ》地《ち》だが、头の上は屋根裏がまる出しで、窓の方へ低まって来ているものだから、ぜ
                              蚕のように驹子も透明な体でここに住んでいるかと思われた。
                              置《おき》火《ご》燵《たつ》には山袴とおなじ木《も》绵《めん》缟《じま》の蒲団がかかっていた。箪《たん》笥《す》は古びているが、驹子の东京暮しの名残《なごり》か、柾《まさ》目《め》のみごとな桐《きり》だった。それと不似合に粗末な镜台だった。朱涂の裁缝箱がまた赘《ぜい》沢《たく》なつやを见せていた。壁に板を段々に打ちつけたのは、本箱なのであろう、めりんすのカアテンが垂らしてあった。
                              昨夜の座敷着が壁にかかって、襦《じゆ》袢《ばん》の赤い裏を开いていた。
                              驹子は十《じゆう》能《のう》を持って、器用に梯子を上って来ると、
                              


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