昨日に引き続いて、金子光晴の奇书から一部ご绍介。今日は少し色っぽい。
话者が吉行淳之介、深沢七郎、野坂昭如となってくると、エロ谈义の匂いが立ち升る。しかし异性との性交に関する猥谈は乾いていてあまり盛り上がらない。予定调和に近い。
では、异性との対谈となるとどうか。佐藤爱子、田辺圣子、冨冈多恵子ら、女流文学者。偶然かどうか、3人の何れも関西育ち。同类の気安さもあってか、京都育ちの金子光晴としては下ネタも振れるわけだ。だが、これまた、予定调和的だ。
だが、岸恵子となると、もう形无しだ。せっかく夫の映画监督、Yve Ciampiと别れるかどうかで揉めていた时期だったのに、全然、突っ込みが足りない。精々、子供のことでアドバイスするので精一杯だ。
「ぼくもいろいろとでたらめやってきたけどね、こういうこと最近もあまり変わっちゃあいないんだが、とにかくね、子供のことは、これは大変な问题だから」
「そうですね。ただ、今回の事件は本当は事件でも何でもないんです。まだ离婚もしていませんし、するつもりもありませんから」
気丈に応じる岸恵子。半年も娘と共に日本で仕事をして、不仲が取沙汰されていた顷。
「『キシケイコ、キレイナシーンジュ』って(注:娘が)いうんですよ。あたし、まっ赤になっちゃって、『岸恵子、きれいな真珠』っていったんだと思ってね、どこで、そんな言叶を覚えたのかしらって、慌てちゃいまして、『そんなこといったら、みっともないです、いけません』ていったら、ケラケラ笑いましてね、『岸恵子、绮丽ナーイ、四十』っていってるんです」
この「面白半分」の対谈の翌年、1975年には离婚し、岸恵子は一人娘のDelphine Ciampiを引き取って、女手ひとつで育てることになる。
この顷、「约束」(1972年)、「雨のアムステルダム」(1975年)とショーケンと共演している。「约束」の2人は、当时から评判が高かったし、年齢は离れていても、日本人に珍しく、とても似合いのカップルだった。岸恵子の毅然とした孤影は、とても美しかったからだ。大体、日本の女优で、毛皮とガーターの似合う女はそういない。内面の知性が弱いと、西洋の売春妇のような装いは、取って付けたようになって、安っぽく负けてしまう。
何年か前に资生堂の広告に娘たちと御母上が登场していたのね。ホント、似てますな、御母上に。