★★ 今天的重要语句★★
海苔のり 海苔
天然てんねん 天然
全国ぜんこく 全国
毎年まいとし2月がつ6日むいかは「海苔のりの日ひ」です。海苔のりの日ひは、全国海苔貝類漁業協同組合連合会ぜんこくのりかいるいぎょぎょうきょうどうくみあいれんごうかいが昭和しょうわ41年ねん(1966年ねん)が定さだめたもので、大宝律令だいほうりつりょうによって海苔のりが税制ぜいせいの対象たいしょうとされたことから、大宝律令だいほうりつりょうが施行しこうされた2月がつ6日むいかを「海苔のりの日ひ」と定さだめ、全国的ぜんこくてきな海苔消費促進のりしょうひそくしんの日ひとしました。また、海苔のりを使つかった恵方巻えほうまきを食たべる節分せつぶんの日ひ(2月がつ3みっか日)~海苔のりの日ひ(2月がつ6日むいか)前後ぜんごの一週間いっしゅうかんを「海苔のりウィーク」として全国各地ぜんこくかくちで海苔のりの販売促進はんばいそくしんのイベントが行おこなわれています。
每年2月6日是海苔日。海苔日是日本海苔贝类渔业协同组合联合会于昭和41年(1966年)确定的,所以根据大宝律令,海苔是税制的对象,大宝律令实施后的2月6日被定为“海苔日”,是全国促进海苔消费的日子。另外,食用使用海苔的惠方卷的节分之日(2月3日)~海苔日(2月6日)前后的一周作为“海苔周”在全国各地的海正在举行促进苔藓销售的活动。
海苔のりの起源きげんははっきりとはしていません。701年ねんに制定せいていされた大宝律令だいほうりつりょう(律りつは刑罰けいばつに関かんする規定きてい、令りょうは政治せいじ・経済けいざいなどの行政ぎょうせいに関かんする規定きていのこと)では税制ぜいせいの対象たいしょうとして「紫菜むらさきのり」が他ほかの海藻類かいそうるいとともに登場とうじょうし、奈良時代ならじだい(710年ねん~794年ねん)初期しょきに書かかれた「常陸国風土記ひたちのくにふどき」という書物しょもつでは、ヤマトタケル(古代日本こだいにほんの皇族こうぞく)が浜辺一面はまべいちめんに海苔のりが干ほしているのを見みたという記述きじゅつがあります。
历史记载海苔的起源并不是那么清楚。701年制定的大宝律令是关于刑罚的规定,令是关于政治、经济等行政的规定,是税制的对象“紫菜”和其他海藻类一起登场,在奈良时代(710年~794年)初期写的《常陆国风土记》一书中,有一本叫“日本竹”的书有这样的记载:(古代日本的皇族)在海边一片干海苔。
しかし、実際じっさいにはそれよりももっと古ふるく、縄文時代じょうもんじだい(紀元前きげんまえ12000年頃ねんごろ~紀元前きげんまえ4世紀せいき)から食用しょくようにされていたのではないかと考かんがえられています。
縄文時代じょうもんじだいの貝塚かいづかからは、人々ひとびとが食料しょくりょうとしていた貝類かいるいが出土しゅつどしていることから、海藻のりも食たべていたのではないか?と考かんがえられています。しかし、海藻のりは、貝類かいるいのように明確めいかくに痕跡こんせきが残のこるものではないので、必かならずしも「食たべていた」とは言いい切きれず、「食たべていたのではないだろうか」と想像そうぞうすることしかできません。
但是,实际上比这个更古老的是绳文时代(公元前12000年左右)~公元前4世纪就开始食用。
从绳文时代的贝冢开始,作为人类食物的贝类出土了,所以海藻也被食用了吧?但是,海藻并不像贝类那样明确地残留着痕迹,所以即使不一定要切下来,也不能说是在吃,只能想象是在吃。
710年ねんに作つくられた都みやこ「平城京へいじょうきょう」では、海藻類かいそうるいを売うる「和布店にぎめだな」、昆布こんぶや海苔のりを佃煮つくだにのように加工かこうしたものを売うる「藻葉店もはだな」という市場いちばが存在そんざいしたといわれており、この頃ごろ、日本人にほんじんの食文化しょくぶんかに海苔のりが定着ていちゃくしたと考かんがえられています。
しかし、当時とうじは海苔のりは天然てんねんのものを採とるため大変貴重たいへんきちょうで高級品こうきゅうひんだったため、庶民しょみんの間あいだに広ひろまるのは江戸時代えどじだい(1603年ねん~1868年ねん)になってからです。
在710年建成的都城“平城京”,有一种叫做“和布店”的市场,出售海藻类的“和布店”,出售将海带和海苔加工成佃煮的“海藻叶店”海苔被认为是存在的,最近,海苔在日本人的饮食文化中固定下来。
但是,当时海苔因为是天然的,所以非常珍贵,是高级品,所以在平民之间广为流传是在江户时代(1603年~1868年)。
江戸時代えどじだいになると、海苔のりの養殖技術ようしょくぎじゅつが確立かくりつし、江戸湾えどわん(現在げんざいの東京湾とうきょうわん)で海苔のりを養殖ようしょくし、和紙わしの製紙技術せいしぎじゅつを用もちいて四角しかくい紙かみのように加工かこうするようになりました。
これが「浅草海苔あさくさのり」と呼よばれるもので、現在私げんざいわたしたちが知しっている「板海苔いたのり」になります。
板海苔いたのりを火ひであぶったものを「焼やき海苔のり」といい、板海苔いたのりに味付あじつけをしたものを「味付あじつけ海苔のり」といいますが、これは、海苔のりの老舗しにせである「山本海苔店やまもとのりてん」が発祥はっしょうです。
到了江户时代,海苔的养殖技术确立了,在江户湾(现在的东京湾)养殖海苔,使用和纸的造纸技术制作成四角形的海苔像黑色的纸一样加工了。
这被称为“浅草海苔”,是现在我们所知道的“板海苔”。
将板海苔用火烤过的叫做“烤海苔”,将板海苔调味后的叫做“调味海苔”,这是海苔老字号“山本海苔店”的发祥地。
「ノリ」という名前なまえの由来ゆらいは、海藻類かいそうるいがヌラヌラしている様子ようす「ヌラヌラする」の「ヌラ」が訛なまったものといわれており、「海苔のり」という漢字かんじが当あてられたのは江戸時代えどじだいと考かんがえられています。
“海苔”这个名字的由来,据说是因为海藻类的样子粘糊糊,所以发音 “粘糊糊”的,而“海苔”这个汉字是在江户时代被使用的。
海苔のり 海苔
天然てんねん 天然
全国ぜんこく 全国
毎年まいとし2月がつ6日むいかは「海苔のりの日ひ」です。海苔のりの日ひは、全国海苔貝類漁業協同組合連合会ぜんこくのりかいるいぎょぎょうきょうどうくみあいれんごうかいが昭和しょうわ41年ねん(1966年ねん)が定さだめたもので、大宝律令だいほうりつりょうによって海苔のりが税制ぜいせいの対象たいしょうとされたことから、大宝律令だいほうりつりょうが施行しこうされた2月がつ6日むいかを「海苔のりの日ひ」と定さだめ、全国的ぜんこくてきな海苔消費促進のりしょうひそくしんの日ひとしました。また、海苔のりを使つかった恵方巻えほうまきを食たべる節分せつぶんの日ひ(2月がつ3みっか日)~海苔のりの日ひ(2月がつ6日むいか)前後ぜんごの一週間いっしゅうかんを「海苔のりウィーク」として全国各地ぜんこくかくちで海苔のりの販売促進はんばいそくしんのイベントが行おこなわれています。
每年2月6日是海苔日。海苔日是日本海苔贝类渔业协同组合联合会于昭和41年(1966年)确定的,所以根据大宝律令,海苔是税制的对象,大宝律令实施后的2月6日被定为“海苔日”,是全国促进海苔消费的日子。另外,食用使用海苔的惠方卷的节分之日(2月3日)~海苔日(2月6日)前后的一周作为“海苔周”在全国各地的海正在举行促进苔藓销售的活动。
海苔のりの起源きげんははっきりとはしていません。701年ねんに制定せいていされた大宝律令だいほうりつりょう(律りつは刑罰けいばつに関かんする規定きてい、令りょうは政治せいじ・経済けいざいなどの行政ぎょうせいに関かんする規定きていのこと)では税制ぜいせいの対象たいしょうとして「紫菜むらさきのり」が他ほかの海藻類かいそうるいとともに登場とうじょうし、奈良時代ならじだい(710年ねん~794年ねん)初期しょきに書かかれた「常陸国風土記ひたちのくにふどき」という書物しょもつでは、ヤマトタケル(古代日本こだいにほんの皇族こうぞく)が浜辺一面はまべいちめんに海苔のりが干ほしているのを見みたという記述きじゅつがあります。
历史记载海苔的起源并不是那么清楚。701年制定的大宝律令是关于刑罚的规定,令是关于政治、经济等行政的规定,是税制的对象“紫菜”和其他海藻类一起登场,在奈良时代(710年~794年)初期写的《常陆国风土记》一书中,有一本叫“日本竹”的书有这样的记载:(古代日本的皇族)在海边一片干海苔。
しかし、実際じっさいにはそれよりももっと古ふるく、縄文時代じょうもんじだい(紀元前きげんまえ12000年頃ねんごろ~紀元前きげんまえ4世紀せいき)から食用しょくようにされていたのではないかと考かんがえられています。
縄文時代じょうもんじだいの貝塚かいづかからは、人々ひとびとが食料しょくりょうとしていた貝類かいるいが出土しゅつどしていることから、海藻のりも食たべていたのではないか?と考かんがえられています。しかし、海藻のりは、貝類かいるいのように明確めいかくに痕跡こんせきが残のこるものではないので、必かならずしも「食たべていた」とは言いい切きれず、「食たべていたのではないだろうか」と想像そうぞうすることしかできません。
但是,实际上比这个更古老的是绳文时代(公元前12000年左右)~公元前4世纪就开始食用。
从绳文时代的贝冢开始,作为人类食物的贝类出土了,所以海藻也被食用了吧?但是,海藻并不像贝类那样明确地残留着痕迹,所以即使不一定要切下来,也不能说是在吃,只能想象是在吃。
710年ねんに作つくられた都みやこ「平城京へいじょうきょう」では、海藻類かいそうるいを売うる「和布店にぎめだな」、昆布こんぶや海苔のりを佃煮つくだにのように加工かこうしたものを売うる「藻葉店もはだな」という市場いちばが存在そんざいしたといわれており、この頃ごろ、日本人にほんじんの食文化しょくぶんかに海苔のりが定着ていちゃくしたと考かんがえられています。
しかし、当時とうじは海苔のりは天然てんねんのものを採とるため大変貴重たいへんきちょうで高級品こうきゅうひんだったため、庶民しょみんの間あいだに広ひろまるのは江戸時代えどじだい(1603年ねん~1868年ねん)になってからです。
在710年建成的都城“平城京”,有一种叫做“和布店”的市场,出售海藻类的“和布店”,出售将海带和海苔加工成佃煮的“海藻叶店”海苔被认为是存在的,最近,海苔在日本人的饮食文化中固定下来。
但是,当时海苔因为是天然的,所以非常珍贵,是高级品,所以在平民之间广为流传是在江户时代(1603年~1868年)。
江戸時代えどじだいになると、海苔のりの養殖技術ようしょくぎじゅつが確立かくりつし、江戸湾えどわん(現在げんざいの東京湾とうきょうわん)で海苔のりを養殖ようしょくし、和紙わしの製紙技術せいしぎじゅつを用もちいて四角しかくい紙かみのように加工かこうするようになりました。
これが「浅草海苔あさくさのり」と呼よばれるもので、現在私げんざいわたしたちが知しっている「板海苔いたのり」になります。
板海苔いたのりを火ひであぶったものを「焼やき海苔のり」といい、板海苔いたのりに味付あじつけをしたものを「味付あじつけ海苔のり」といいますが、これは、海苔のりの老舗しにせである「山本海苔店やまもとのりてん」が発祥はっしょうです。
到了江户时代,海苔的养殖技术确立了,在江户湾(现在的东京湾)养殖海苔,使用和纸的造纸技术制作成四角形的海苔像黑色的纸一样加工了。
这被称为“浅草海苔”,是现在我们所知道的“板海苔”。
将板海苔用火烤过的叫做“烤海苔”,将板海苔调味后的叫做“调味海苔”,这是海苔老字号“山本海苔店”的发祥地。
「ノリ」という名前なまえの由来ゆらいは、海藻類かいそうるいがヌラヌラしている様子ようす「ヌラヌラする」の「ヌラ」が訛なまったものといわれており、「海苔のり」という漢字かんじが当あてられたのは江戸時代えどじだいと考かんがえられています。
“海苔”这个名字的由来,据说是因为海藻类的样子粘糊糊,所以发音 “粘糊糊”的,而“海苔”这个汉字是在江户时代被使用的。